カテゴリ:思考テスト
最近アニメやマンガといったジャンルのコンテンツが海外(特にアメリカ西海岸)から高い評価を受けることが多くなってきた。このブーム自体は、多くの海外ファンが自費を投じて翻訳作業を行ったり草の根的に広がっていったものであり、政府が協力したことなどは一度もない。しかもライオンキング問題に見られるように、手塚作品ですらパクリから守ることもできなかった彼らが、まったくもってピントはずれの発言を繰り返していることに怒りを覚える。
(以下抜粋)

「人気あるコンテンツを切り込み隊長として、日本ブランドを確立して、
産業振興を図るべき」と主張する浜野保樹氏
「ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。
ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマル
のコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」
(以上抜粋)
http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070320/ent070320001.htm
ゲームがアニメやマンガ以下の表現である。この言葉は、アニメやマンガが映画以下の表現であると言われてきた歴史を知らないで発言しているわけではないと信じたい(天下の東京大学ですから、笑)
だいたいにして、このような人たちは実際ゲームをとれだけ体験している人なのであろうか。心ふるえる感動をしたことがないとは、よほどひどいゲームばかりをプレイしてきたのか、それとも「ママに禁止されてファミコン買ってもらえなかった」かわいそうな子供だったのか。とにかく、なぜ韓流のきっかけをつくった某ドラマがどう見ても有名なエロゲのパクリだったのか、彼は説明できるだろうか?できないに違いない。
僕が最も好きなゲームであるスーパーファミコン版「タクティクスオウガ」。僕はこの作品でゲームをプレイしていて初めて泣いた。ユーゴ内戦を髣髴とさせる血を血で洗う民族紛争。日本で放送されるニュースを見ていた僕は、あの戦争の悲惨さをこのゲームで知った。そしてメディアとは何か、報道とは何か、そしてマスコミュニケーションとは何か。今に至る人生の大きな方向を決めるきっかけとなった。
そもそも日本のマンガは、紙の質の悪さからモノクロ印刷オンリーの表現へとつながった。アニメは、ウォルトディズニーに憧れた少年たちが悲惨なほど少ない予算で作り上げるために、独特の動きの少ない台詞によって内面性を描き出す表現手法がとられるようになった。そしてゲームは8ビットという制限の中で、小さな小さなマス目の中に描いたキャラで、喜怒哀楽を描くというすさまじい職人芸を生んだ。音楽にしてもファミコン音源だけで演奏するYMCKのようなバンドもいるほど、多様な曲を生み出した。
すべては、足りない何かをアイディアや職人芸で突破してきた文化なのだ。そこへのリスペクトがない人間が、とやかく知った顔でモノを申すのはいかがなものか。(しかもだ!アマゾンには、この人の著作物が何冊も出ている!!!もちろんアニメやマンガについての本だ。内容は読んでみたが、まさにコメント欄についているような価値のないものだった。)
この人は、日本のゲーム業界で働くすべてに人に謝罪すべきだ。そしてこのような無知な人間が税金の無駄遣いをする前に、このような集まりはすぐにでも解散すべきだ。その昔、小説と言うジャンルの文学はバカの読むものとされていた歴史をまた繰り返す必要はない。
(以下抜粋)

「人気あるコンテンツを切り込み隊長として、日本ブランドを確立して、
産業振興を図るべき」と主張する浜野保樹氏
「ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。
ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマル
のコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」
(以上抜粋)
http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070320/ent070320001.htm
ゲームがアニメやマンガ以下の表現である。この言葉は、アニメやマンガが映画以下の表現であると言われてきた歴史を知らないで発言しているわけではないと信じたい(天下の東京大学ですから、笑)
だいたいにして、このような人たちは実際ゲームをとれだけ体験している人なのであろうか。心ふるえる感動をしたことがないとは、よほどひどいゲームばかりをプレイしてきたのか、それとも「ママに禁止されてファミコン買ってもらえなかった」かわいそうな子供だったのか。とにかく、なぜ韓流のきっかけをつくった某ドラマがどう見ても有名なエロゲのパクリだったのか、彼は説明できるだろうか?できないに違いない。
僕が最も好きなゲームであるスーパーファミコン版「タクティクスオウガ」。僕はこの作品でゲームをプレイしていて初めて泣いた。ユーゴ内戦を髣髴とさせる血を血で洗う民族紛争。日本で放送されるニュースを見ていた僕は、あの戦争の悲惨さをこのゲームで知った。そしてメディアとは何か、報道とは何か、そしてマスコミュニケーションとは何か。今に至る人生の大きな方向を決めるきっかけとなった。
そもそも日本のマンガは、紙の質の悪さからモノクロ印刷オンリーの表現へとつながった。アニメは、ウォルトディズニーに憧れた少年たちが悲惨なほど少ない予算で作り上げるために、独特の動きの少ない台詞によって内面性を描き出す表現手法がとられるようになった。そしてゲームは8ビットという制限の中で、小さな小さなマス目の中に描いたキャラで、喜怒哀楽を描くというすさまじい職人芸を生んだ。音楽にしてもファミコン音源だけで演奏するYMCKのようなバンドもいるほど、多様な曲を生み出した。
すべては、足りない何かをアイディアや職人芸で突破してきた文化なのだ。そこへのリスペクトがない人間が、とやかく知った顔でモノを申すのはいかがなものか。(しかもだ!アマゾンには、この人の著作物が何冊も出ている!!!もちろんアニメやマンガについての本だ。内容は読んでみたが、まさにコメント欄についているような価値のないものだった。)
この人は、日本のゲーム業界で働くすべてに人に謝罪すべきだ。そしてこのような無知な人間が税金の無駄遣いをする前に、このような集まりはすぐにでも解散すべきだ。その昔、小説と言うジャンルの文学はバカの読むものとされていた歴史をまた繰り返す必要はない。
世間は区議会選のようである。毎日のようにいたるところで街宣車が走り回る。マニフェストという言葉だけが先走る空虚な約束を口走っている。まぁ名前と顔が一致しないのは許されるとしても、名前すら聞いたことのない人々。名前を知っているのは、自分が住んでいる渋谷区ではセンター街などのクリーン活動をしている人物のみというお寒い結果。
だいたいにして世の中にある○○賞というものは、選ぶべき作品がない場合は「各当者なし」である。なぜに定員を毎回選ばなくてはいけないのか、「各当者なし」でいいのではないか。もしくは一定以上の支持を得たものだけが議員になるのが筋というものではないのだろうか。
元タレントに、呆けた元建築家、ファシスト面の作家崩れ、そしてファシストの顔をしたコメディアンが出揃った都知事選。誰一人として政治や経済一筋で頑張ってきた人間がいないのもどうかと思う。すし屋になるのに、私は美食家ですと言っているようなピントはずれな人間を選ばなくてはいけないというのは苦痛以外のなにものでもない。だからこそ、僕はファシストの顔をしたコメディアンに清き一票を入れた。候補の中では一番真面目に仕事をしてくれそうだったからだ(笑)
どうも日本では法律というものは政治家(政治屋)がつくるもので経済学者が口を出すものではない、という変な風習がある。経済一流政治三流と海外から揶揄される由縁でもある。明治の政治家は、当時の最先端の経済知識を持ったプロフェッショナルでもあった。多くは実際に自分の手で産業を興し自ら実地の経験をつんだ叩き上げ集団であった。だからこそ揺らぐことのない自信と他人を説得させる思想を持っていた。あの時代にアジアの小国にして列強の植民地にならなかったのは軍隊のおかげではない。あくまでもそれを支える経済力と対等に交渉できる外交力を持ちえたからである。このままでは、日本は再軍備化の流れを進んでしまう。単純で目に見える大衆受けする政策は、必ずしも正しい道ではない。話はそれるが、沈黙の艦隊をご存知だろうか。真の独立を日本が果たすための一手段を描いたマンガである。しかし現実はフィクションの想像力も超え、もはや核は潜水艦という単位ではなく、小型核として個人もしくはテロリストという小集団でさえ扱えるものになった。潜水艦戦の基本は、テロリストと同じゲリラ戦略にあるという点も非常に注目すべき点である。つまり潜在的な抑止力としての核戦力というものは、もはや国家だけが持ちうるものではない。これが現実だ。つまり、いかに再軍備をしようが核を持とうが日本を守ることはできない。それはアメリカという国を見れば明白ではないか。
このような時代に、日本を守る方法がひとつだけある。それは核というネガティブのシークレットサービスを提供するのではなく、災害救助というポジティブなサービスを提供することである。そう、それは「サンダーバード」と呼ばれている。世界のどの国でもいい、災害が発生した地域に最高の科学技術を搭載したマシーンで乗り込み、人命を救助する。自衛隊という組織を正しい方向に進化させればいい。幸いなことに日本には世界最高のロボット技術もある。さらには日本自身が世界最高危険度の災害多発地帯であることも忘れてはいけない。
戦車も戦闘機も核も兵隊もイラネー。だってサンダーバードのプラモのほうがかっこいいもん。戦争なんかまっぴらゴメン。軍歌はダサいけど、サンダーバードのテーマだったら子供が歌ってもなんかいいじゃないか(笑)
最近、アメリカでまた銃によって無差別殺人が起きた。古来武器と言うものは最大の抑止力であって、実際に使用するのはその最後の手段であったはずだ。在米の弟のブログにも書いたが、同時にイラクのニュースを見ていると、まさに「剣によって立つもの、また剣によって滅ぶ」以上でも以下でもないことが良く分かる。被害者にはお気の毒だが、自業自得な感はぬぐえない。
彼らが言う神から知性を持たせてもらった唯一の動物なのに、それを使わない(使えない?使おうとしない?)のだから、言葉を失ってしまう。よくアメリカは、銃によってつくられた国だから日本とは違う、と物を知ったようなことを言う人が、それは違う。なぜならすべての国家は、暴力によってつくられたからだ。日本は宗教と政治を分離した同じ時代に、廃刀令で暴力と治安をきっぱり分離した。日本人は法と司法のチカラを信じている。つまり人間の知性を信じている。
しかしアメリカはどうだろうか?司法の前に、私法がある。近代の法学が、まず否定するリンチ(私的な復讐、あだ討ち)という概念を肯定している。これは、驚くべき時代錯誤な思想だ。
さらに付け加えれば京都議定書を批准してない唯一の大国であり、科学的に正確に定義できないポンドやマイル、華氏を支持し、メートル法によって単位が整備されていない国である。
アメリカは、知性という意味では大変遅れた国である。まともな国家として100年ほどしか歴史がないだけはある。人間で言うと14歳。チカラだけは一人前だけど、国家としてはまだまだ半人前であると言わざるを得ない。
自分以外の存在を認めて人間は本当の意味での「自我」に目覚める。国家も自分以外の文化の相違を認めてこそ、初めて大人なのではないだろうか。アメリカには「暴力」という解決方法以外にも「話し合う」という知性を利用した方法があることを学んで欲しい。人間には、他人を信用するという「勇気」が必要であることを知ってほしい。そして「共生」「分け与える」「誰かのために犠牲になる」という今からの世の中に一番必要な価値観を発見して欲しい。世界中の人がそう思っている。
あえて言おう。銃という個人単位の抑止力を管理できない国が、核という抑止力を管理すべきではない。さらに人類が実現可能な最大のエコは、戦争をしないことである。この壮大なリソースの無駄遣いからみれば、自動車による大気汚染など問題にならないではないか。今こそ、日本は世界に先駆けてサンダーバード計画を発動せよ。人類の知性のあるべき姿を、この世界に指し示す時は、もう(遅いかもしれないが)来ている。さぁ、立てよ国民!!!!
くらい言ってくれる政治家がいれば一票入れるのにな、と言ってみるテスト。
だいたいにして世の中にある○○賞というものは、選ぶべき作品がない場合は「各当者なし」である。なぜに定員を毎回選ばなくてはいけないのか、「各当者なし」でいいのではないか。もしくは一定以上の支持を得たものだけが議員になるのが筋というものではないのだろうか。
元タレントに、呆けた元建築家、ファシスト面の作家崩れ、そしてファシストの顔をしたコメディアンが出揃った都知事選。誰一人として政治や経済一筋で頑張ってきた人間がいないのもどうかと思う。すし屋になるのに、私は美食家ですと言っているようなピントはずれな人間を選ばなくてはいけないというのは苦痛以外のなにものでもない。だからこそ、僕はファシストの顔をしたコメディアンに清き一票を入れた。候補の中では一番真面目に仕事をしてくれそうだったからだ(笑)
どうも日本では法律というものは政治家(政治屋)がつくるもので経済学者が口を出すものではない、という変な風習がある。経済一流政治三流と海外から揶揄される由縁でもある。明治の政治家は、当時の最先端の経済知識を持ったプロフェッショナルでもあった。多くは実際に自分の手で産業を興し自ら実地の経験をつんだ叩き上げ集団であった。だからこそ揺らぐことのない自信と他人を説得させる思想を持っていた。あの時代にアジアの小国にして列強の植民地にならなかったのは軍隊のおかげではない。あくまでもそれを支える経済力と対等に交渉できる外交力を持ちえたからである。このままでは、日本は再軍備化の流れを進んでしまう。単純で目に見える大衆受けする政策は、必ずしも正しい道ではない。話はそれるが、沈黙の艦隊をご存知だろうか。真の独立を日本が果たすための一手段を描いたマンガである。しかし現実はフィクションの想像力も超え、もはや核は潜水艦という単位ではなく、小型核として個人もしくはテロリストという小集団でさえ扱えるものになった。潜水艦戦の基本は、テロリストと同じゲリラ戦略にあるという点も非常に注目すべき点である。つまり潜在的な抑止力としての核戦力というものは、もはや国家だけが持ちうるものではない。これが現実だ。つまり、いかに再軍備をしようが核を持とうが日本を守ることはできない。それはアメリカという国を見れば明白ではないか。
このような時代に、日本を守る方法がひとつだけある。それは核というネガティブのシークレットサービスを提供するのではなく、災害救助というポジティブなサービスを提供することである。そう、それは「サンダーバード」と呼ばれている。世界のどの国でもいい、災害が発生した地域に最高の科学技術を搭載したマシーンで乗り込み、人命を救助する。自衛隊という組織を正しい方向に進化させればいい。幸いなことに日本には世界最高のロボット技術もある。さらには日本自身が世界最高危険度の災害多発地帯であることも忘れてはいけない。
戦車も戦闘機も核も兵隊もイラネー。だってサンダーバードのプラモのほうがかっこいいもん。戦争なんかまっぴらゴメン。軍歌はダサいけど、サンダーバードのテーマだったら子供が歌ってもなんかいいじゃないか(笑)
最近、アメリカでまた銃によって無差別殺人が起きた。古来武器と言うものは最大の抑止力であって、実際に使用するのはその最後の手段であったはずだ。在米の弟のブログにも書いたが、同時にイラクのニュースを見ていると、まさに「剣によって立つもの、また剣によって滅ぶ」以上でも以下でもないことが良く分かる。被害者にはお気の毒だが、自業自得な感はぬぐえない。
彼らが言う神から知性を持たせてもらった唯一の動物なのに、それを使わない(使えない?使おうとしない?)のだから、言葉を失ってしまう。よくアメリカは、銃によってつくられた国だから日本とは違う、と物を知ったようなことを言う人が、それは違う。なぜならすべての国家は、暴力によってつくられたからだ。日本は宗教と政治を分離した同じ時代に、廃刀令で暴力と治安をきっぱり分離した。日本人は法と司法のチカラを信じている。つまり人間の知性を信じている。
しかしアメリカはどうだろうか?司法の前に、私法がある。近代の法学が、まず否定するリンチ(私的な復讐、あだ討ち)という概念を肯定している。これは、驚くべき時代錯誤な思想だ。
さらに付け加えれば京都議定書を批准してない唯一の大国であり、科学的に正確に定義できないポンドやマイル、華氏を支持し、メートル法によって単位が整備されていない国である。
アメリカは、知性という意味では大変遅れた国である。まともな国家として100年ほどしか歴史がないだけはある。人間で言うと14歳。チカラだけは一人前だけど、国家としてはまだまだ半人前であると言わざるを得ない。
自分以外の存在を認めて人間は本当の意味での「自我」に目覚める。国家も自分以外の文化の相違を認めてこそ、初めて大人なのではないだろうか。アメリカには「暴力」という解決方法以外にも「話し合う」という知性を利用した方法があることを学んで欲しい。人間には、他人を信用するという「勇気」が必要であることを知ってほしい。そして「共生」「分け与える」「誰かのために犠牲になる」という今からの世の中に一番必要な価値観を発見して欲しい。世界中の人がそう思っている。
あえて言おう。銃という個人単位の抑止力を管理できない国が、核という抑止力を管理すべきではない。さらに人類が実現可能な最大のエコは、戦争をしないことである。この壮大なリソースの無駄遣いからみれば、自動車による大気汚染など問題にならないではないか。今こそ、日本は世界に先駆けてサンダーバード計画を発動せよ。人類の知性のあるべき姿を、この世界に指し示す時は、もう(遅いかもしれないが)来ている。さぁ、立てよ国民!!!!
くらい言ってくれる政治家がいれば一票入れるのにな、と言ってみるテスト。
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